CultGate(カルトゲート)

ドールおじさんが萌え系の話だったり、鉄道の話だったりを語るブログ

葬儀という、残された人達がこの世を去ったと実感をさせる儀式。

とあるバイク仲間が亡くなった。

吐血した状態で亡くなっているのが発見されたと聞いた。
死因は心臓発作との事。

人工透析をしていた為、心臓発作を含め心不全のリスクは極めて高い。
なのでやっぱりか...というのはある。
それでも透析期間を考えたら速すぎる結末だった。

自分の記憶が正しければ出会ったのは18歳前後の頃。

ZXR400SPで近場を攻めまくるころからツーリングに興味を出した頃、後に亡くなった連絡をしてくれた人経由で知り合った。

大学や仕事で九州を離れていた時期を除けば割とちょこちょこどこかで会う機会があった。

日常の活動圏内も被っている事もあり、ちょくちょくすれ違いやバッタリ会う事も多かった。
彼が入院してた時に暇だから見舞いに来てと呼び出された事もあった。
ネットでコメントを貰う事も多々あった。

そんな彼が突然この世を去り、家族葬により見送る機会も無く今に至っている。

その為、この世を去っているという事実に実感が無い。

毎日投稿なりコメントしていた本人が当然全くしなくなり、沢山の人が彼に追悼コメントをしているし、棺桶の前にいると連絡して来た人に掛け直すくらいには確認もした。
妹さんからどこに連絡をしたら良いか判らないから各SNSに投稿して広めてくれという話があり、各SNSや電話で連絡し、メッセージや電話が来たら対応した。

それでも未だに実感が湧かない。

何故なら見送っていないからだ。
葬儀の写真なりでも見たら実感が湧いたのだろうが今回はそれも無い為に実感が湧かない。

過去にもそういう事は何度かあった。
同じく急死して何らかの事情で葬儀に立ち会えなかったケースだ。

そう考えると葬儀という儀式はこの世を去ったと認識させるのに重要な儀式だと改めて思う。
ただ諸事情で家族葬等の場合も多々あるし、今後も通夜や葬式に行けないケースもあるだろう。

そんな時はどうしたら自分の中で認識が出来るかそろそろ考えなければと思う。

じゃないといつまでもまたどこかで会う気がするままになるから。